東京高等裁判所 昭和33年(ネ)1977号 判決
一、先ず被控訴人弘幸と訴外小菅正造との間の前記三の転貸借について控訴人の承諾があつたかどうかについて案ずるに、右の転貸借が契約締結の事前に控訴人の承諾を得たとの被控訴人主張事実はこれを認めるに足る証拠がないからこの主張を採用するに由ない。然し成立に争のない乙第五号証の記載、証人関根半三郎同松崎美代子、同小菅正造の原審並びに当審における各証言、原審における被控訴人弘幸の本人尋問の結果並びに原審及び当審における各検証の結果を綜合すると控訴人の居住家屋と被控訴人等の居住する本件家屋はいずれも肩書同一地番に幅一米余の路地をはさんで隣合せに存在し、控訴人の養母訴外伊藤コトと被控訴人弘幸の養母とは姉妹の間柄であり控訴人が本件家屋を被控訴人弘幸の先代幸三郎に賃貸することとなつた抑々の動機は右コトに於て(コトの姉妹の夫)幸三郎一家が貧窮にあえぎ住居にも困つていたところから控訴人に頼んで本件家屋を貸与せしめ、かくして幸三郎一家が本件家屋に拠つて生活の立直りを求めたところにあつたこと、その故に右コトは屡々被控訴人方を訪れ本件家屋の使用状況については常に直接見て知つており、前記二記載の三年の期間経過後も小菅が従来の部分に加えて前記三記載の拡張(転借)部分をも使用していたことを十分了知していたことから延いて控訴人も養母の話等から右の事実を知つていたものと推認されること、控訴人は昭和三十年二、三月頃右小菅がいつまでも転借部分より立退きそうな気配がないので小菅に直接事情を聞き合わせたところ被控訴人と小菅間に前記三の公正証書による転貸借契約が結ばれていることを承知したこと、それにも拘らず控訴人は直に被控訴人弘幸に対し前記二の賃貸借契約上の約旨違反を詰つた形跡は認められず、しかもその後同年九月迄別段異議を止めないで被控訴人弘幸から約定の賃料を受取つていたこと、その後控訴人は右小菅と交渉して右小菅の転借部分を直接控訴人より小菅に賃貸することとし、小菅から爾来その賃貸部分の賃料を受取つていたことを夫々認めることができる。この認定に副わない控訴人本人の原審並びに当審における各供述部分は当裁判所の措信しないところ、他にこの認定の妨げとなる証拠はない。叙上一連の事実によれば控訴人は被控訴人弘幸との前記三の転貸借契約に基く転貸部分の拡張及び転貸の期間の延長については(その転貸部分を控訴人に於て自ら使用する等の特段の事情がなかつたことからして、)さほどこれを重視しないで黙認したものとみられるので少くとも昭和三十年二、三月頃被控訴人弘幸に対し右転貸借につき黙示の承諾を与えたものと解するのが相当であるといわなければならない。
二、次に被控訴人弘幸の本件家屋に加えた前記五の改造について控訴人の承諾があつたかどうかについて案ずるに、被控訴人弘幸が右改造に着手する前に控訴人よりこれについての承諾を得たとの主張事実はこれを認めるに足る何らの証拠もないから被控訴人のこの主張は採用しがたい。然し成立に争のない乙第六号証及び原本の存在並びに成立に争いのない甲第六号証の一、二の各記載、証人関根半三郎同松崎美代子の原審並びに当審における各証言原審における被控訴人弘幸の本人尋問の結果原審並びに当審における控訴人本人尋問の結果(但し後記措信しない部分を除く)、原審並びに当審における各検証の結果を綜合すると、)被控訴人弘幸はしばらく失業していたが、やつと生菓子製造技術を習得したので、本件家屋で生菓子製造を始めることを計画し、昭和三十四年四月頃から保健所の許可なく生菓子(見本程度)製造を開始したが、餠つきの音に苦情を云われ、また被控訴人方で保健所から注意を受けたことが控訴人の密告によるものと憶測して憤懣を覚えるようになり、爾来控訴人と被控訴人弘幸との間に感情の疎隔を来すに至つたこと、然し被控訴人弘幸は保健所の許可を受けることを決意し、右許可を得るためには本件家屋を右許可を受け得られるように改造することが先決問題となつたので、改造について控訴人の承諾を得ようと思つたが、前記の事情により直接控訴人と交渉しても円滑に事がはこばないことを慮り同年八月末頃控訴人と同被控訴人双方の義理の叔父(控訴人の養母並びに被控訴人弘幸養母のそれぞれの妹の夫)にあたる訴外関根半三郎に本件家屋の改造について控訴人の許可を得ることの交渉を委任したこと。同被控訴人ははじめ一階の仏壇と台所に接する四畳半を幅三尺にわたつて削り、これを台所の一部とし、控訴人の倉庫に平行に接する北側の板壁は別に変更することなく、且東側便所には表面から見えない程度にこれを塞ぎ、北側の角露地の入口に木戸をつけるつもりであつたので改造予定の図面(乙第六号証)にもそのように記載しこれを右関根半三郎に渡して控訴人との交渉を依頼して交付したこと、当時関根は三鷹町に居住し、且リユウマチを患い直ちに控訴人方に交渉に赴く訳に行かぬ事情があり、被控訴人弘幸もこれを諒知していたが同被控訴人は色々の事情から生菓子製造を急ぐ必要があり、且右関根を通じての交渉により控訴人の承諾を受けえられることは確実だと見込んで、控訴人の承諾を俟たず右の計画の下に工事に着手したこと、一方右関根は同年九月四日頃控訴人方を訪れ、前記改造地図を示して控訴人に右改造方の承諾を求めたところ、控訴人は明確な承諾もしなかつたが、明らかに拒絶もしなかつたので、関根は控訴人のこの態度をみて承諾したものと思い、被控訴人方に赴き控訴人の承諾を得た旨を伝えたこと、被控訴人弘幸は始めは前記計画図面のとおり改造をする積りで工事を始めたところ、便所を塞さぐだけでは保健所の許可を受けることに支障を来す虞があること(またこの便所は当時使つていなかつたこと、)等から、実際の工事は最初の計画と異り、仏壇と四畳半はそのままとし、それよりも工事の簡単にすむ台所の北側の壁と東側便所を取除き、北側露地を台所の一部に取入れ、露地入口を台所の入口としたこと、(尤も右台所の板壁は大部分は腐朽し、台所の北側の控訴人倉庫の壁との間の露地も袋地で専ら被控訴人方の用に供せられたものであるから、これを前記のように模様替しても控訴人方には別段不便を与えることがないこと、)ところが控訴人は改造の現況を見て改造が図面と違うと異議を述べ、仲介者の前記関根も自己の理解したところと現実の工事が異るので控訴人と被控訴人弘幸との板ばさみとなり、両者間の斡旋から手を引くに至つたことを夫々認めることができ、右認定に添わない控訴人本人の原審並びに当審における供述部分はいずれも前記証拠に照し当裁判所の措信しないところである。
以上認定の事実によれば控訴人は訴外関根半三郎を通じ、昭和三十年九月四日頃被控訴人弘幸に対し乙第六号証の図面の示す改造に黙示の承諾を与えたものといわなければならないが、被控訴人弘幸の現実に実施した改造工事は右図面の示すところと多少異る部分があつたものといわざるを得ない。
そこで進んで控訴人のした前記六の賃貸借契約解除の意思表示の効力について判断する。
右の意思表示中被控訴人弘幸の無断転貸を理由とする部分が効力のないことは(前記(イ)について説示するとおり無断転貸の事実が認められないところからして)疑のないところである。残る無断改造を理由とする部分についてみると被控訴人弘幸の現実に施行した改造工事が控訴人の承諾を得た図面と多少異るものであることは前記(ロ)に説示するとおりである。然しこの改造を精細に観察すると、元来この改造の動機は被控訴人弘幸がその生計の資とする生菓子製造のため本件家屋の一部に工場施設をして保健所の許可をうる必要上必ず為さねばならないものであり、しかも本件賃貸借締結の抑々の動機は前記のとおり訴外伊藤コトにおいて被忍容すべき控訴人一家のたちなおりを助けようという点にあり、さればこそ控訴人は最初の設計に基く改良工事に同意を与えたものと思われる。ところで前記松崎美代子の証言によれば北側路地はもともと便所の汲みとりに利用されていたが、一方の便所は水洗式となり、残る一方もふさがれ、工事直前はその路地は被控訴人側の使用に任されていたことが認められるのであり、台所北側の板壁を打抜き北側路地を本件家屋の壁として利用するに至つたとしても、仏壇と四畳半をそのままにしてあるのと比較すると、現状の方が図面(乙第六号証)に示す工事よりも軽度の変更であつて、賃貸借終了の際の原状回復もより容易にできるものと認められるから、控訴人が図面どおり四畳半と仏壇の一部を取こわすことに承諾を与えた以上被控訴人弘幸が実際の工事にあたり前記の程度に図面の計画を変更したとしても、(前記控訴人と被控訴人等の身分上のつながりや、賃貸借締結の動機等を参酌すれば)被控訴人が本件賃貸借契約の解除を相当とする程に控訴人の信頼関係を裏切つたとはいえない。よつて右無断改造を理由とする部分も本件賃貸借契約解除の効力を生じ得ないものといわなければならない。
(梶村 岡崎 堀田)